終活支援住宅改修シリーズ#5 祖母が教えてくれた「幸せなボケ方」と安全な環境づくりの原点

安全な環境づくりの原点。状態に合わせて「ちょこっと終活リフォーム」を重ねる
目次

祖母の「幸せなボケ方」とその背景

施設に入りたい。と、自ら願って入所なさる人は、ほんの一握りでしょう。

しかし、介護の問題はきれいごとではすまされない。

できるだけ、最期まで自宅で過ごせるように。
井上工務店はどんなお手伝いができるか?

を、とことん考えた「終活支援住宅改修シリーズ」

第5話は、私の祖母にまつわる実話をベースに、「自宅で看取りまで」を実現したケースを振り返ります。

昭和元年(1926年)生まれで、90歳まで生きた祖母の介護は、家族にとって試練でしたが、結果的に幸せな形になりました。

雑用女将が子供の頃、祖父はまだ京都機械(現在のKTC 京都機械工具)という会社で働いていました。そして、部品と祖父がソ連(現在のロシア)に空輸され笑、祖父が現地の織物工場で機械を組み立て、試運転をして問題なく稼働することを確認したら帰国、という出張に何度も何度も行ってました。

そしてロシアがらみで言えばもう一つ、私の先祖に、祖母の叔父にあたる昇 曙夢(のぼり しょむ) というロシア文学者が居ます。

この先祖あってのマトリョーシカを引き寄せていたのかどうか、わからないですけど、祖父がソ連に出張に行ったときのお土産は毎回マトリョーシカ。たまにはチョコレートとかほしかったけど絶対マトリョーシカ。おかげで雑用女将は大量のマトリョーシカに囲まれて育ちました。笑

私の祖父は入浴時にヒートショックで亡くなりました。

祖母は、祖父が亡くなったあと13年生きました。最後の5年ぐらいは完全に寝たきりでしたが、最期まで自宅で過ごせました。

祖父が亡くなった2003年以降、祖母は物凄く都合の良い「幸せなボケ方」をしました。どんなボケ方かと言うと「祖父が死んだ」という記憶だけがスコーンと抜けたんです。

「いゃ…?おじいさん、遅いなあ。ちょっと大手筋行ってくるって言うて出掛けはったんやけど…?」「おじいさん、何時ごろ帰って来はるんやろかな…?」

という具合に、祖父は出掛けているから家に居ないという認識にすり替わったんです。
これには家族皆、助かりました。祖父を亡くした悲しみを引きずらず、穏やかに過ごせたのは幸いでした。

そして、祖父の死後13年生きたけど、最期まで家で過ごしました。
最後の5年ぐらいは完全に寝たきりでした。

祖母の状態に合わせて「ちょこっと終活リフォーム」を重ねる

祖母はもともと身体が弱く、あっちこっち病気があったけど、病院もベッドの数の問題で長居できない。せいぜい3か月で転院を繰り返すことになるし、それに、病院に入院したとしても、もう歳も歳なもんで、治療といっても点滴と投薬程度。

祖父も祖母もお世話になってた、かかりつけ医(川原林整形外科)の院長先生が、自宅で点滴できるように便宜を図ってくださったおかげで、おばあちゃんは死ぬまで自宅で過ごせました。物凄く手厚く診てくださって、もうどうお礼を言っていいかわからない。一生感謝しています。

当時、雑用女将の実家で、祖母の介護と看取りまでの間に実施した工事は、以下のようなものです。介護保険による「住宅改修費支給制度・生涯20万円限度(厚生労働省)」も活用しました。

  • 手すり設置 … 廊下・トイレ・浴室での転倒防止に。祖母のためにつけたようでありながら、家族にも地味に楽なことが多かった。
  • 部屋の拡張 … 6畳+4畳半の部屋を1つの部屋に改築、介護ベッド導入スペースの確保+車椅子を通りやすくした。
  • 段差解消(床上げ)… 車椅子通過時の対策として、部屋間の段差をなくす工事をした。
  • トイレのリフォーム(ウォシュレット付きに)… もともと洋式便器だったけど、ウォシュレットが付いていなかったのでウォシュレット付に買い換え。
  • 照明 … 祖母が動いた時には点灯しないよう、介護者(家族)がココを通ったらセンサーで電気が点く、という位置に人感センサー付きの照明を設置した。
  • 家具の固定 … もしも大きな地震が来た時に、寝たきりで動けない祖母が家具の下敷きにならないように。

介護ベッドはレンタルを利用。

車椅子、外出時に車椅子で出入りできるスロープ、入浴補助椅子、ポータブルトイレは購入。

他にも大小様々な出費がありましたが、これらは一気に全部やったのではなく、祖母の介護度合いの進行に合わせて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、必要に迫られたものから改修したり、買い揃えていった感じです。

エアコン代は、とにかくケチらない。
もう仕方ない必要経費だと割り切って諦め、室内を年中一定の温度にしてました。

インターホンは、逆に撤去した件

あと、これはあくまでも私の実家のケースなので
「ふーん」程度の話として聞いていただければ…なんですけど、

祖母は身体が弱かったため、わりと早い段階から介助が必要な状態でしたが、
全介護になるまでは、どうにかこうにか、ゆっくりゆっくりではあったものの、全く歩けないわけではありませんでした。

そんなある日、事件が起きました。宅配便が届いたんです。
家族は全員外出中で、家には祖母一人。

母が帰宅した際、祖母は、玄関床の上で倒れてたんです。びっくりして事情を聞くと、

「お届けもんです、言うて配達の人が来はったから、出ようと思った。ここを降りれへんかって」

と言ってたとのこと。

玄関の上がり框(かまち)から降りて、鍵を開ける時に転倒し、起き上がることもできない状態でした。

幸い命に別条はなかったですが、不在票に記載されていた時間からして、母が帰宅するまでの4時間ほど、玄関床の上で倒れたままになっていたようです。

私はこのサイトで、何度も何度も叫んでいますが、コケたらホンマに人生が変わってしまう(アカン意味で)というのは、祖母のことからも「絶対にホンマや」って言えます。

インターホンが「ある」と、当然ながらピンポンされます。
なので、物理的に無くしてしまえ!という判断から、すぐにインターホンを撤去しました。

あの時、インターホンを撤去していなかったら…

その後も「ピンポン」が鳴る度に祖母は無理をして出ようとしたでしょうし、そんでもってまた転倒して大事になってしまってたら、祖母の人生も、私たちの人生も、大きく変わっていたかもしれない。

だからこそ、私は今でも思うんです。

祖母が教えてくれたのは「幸せなボケ方」だけじゃなかった。
安全な環境づくりの原点は「危険な目にあうきっかけをなくす」ということなんだなと。

祖母は最期まで自宅で過ごし、ある日、母が祖母にご飯を食べさせ → 茶碗を台所で洗ってたほんまにちょっとの間に、穏やかに息を引き取っていました。

住み慣れた自宅で最期まで過ごしたいと願うなら。
持つべきものは、地元の「かかりつけ医」と「かかりつけ大工」です。

小さなきっかけが命取りになる前に、今、できることを少しずつ始めませんか?

井上工務店は、そんなあなたの思いに本気で向き合います。

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この記事の著者

雑用って、誰かがやらなきゃ回らへんこと。誰かの「気になる」を先回りして整えること。それを雑と呼ぶのはちょっともったいない。ほんまは一番大事なことかもしれん。(と思わなやってられん笑)

施工棟梁(次男)のヨメである雑用女将は、それを「場をつくる仕事」やと思ってます。木と人との暮らしのあいだにある、見えへんものを整える。そんな思いで今日も馬車馬のごとく働いてます。

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