ご年配の方から学んだ「心」と、終活支援の原点
突然ですが、私は一度結婚に失敗しています。
初婚の際、相手は、婚姻前からの勤務先が倒産して以後、働かなくなりました。私が独身時代に貯めていた貯金を切り崩し、どうにか生活していましたが、子供が生まれても状況は変わらなかったため、早々に離婚しました。
まだ1歳だった子供を保育園に預け、親子ふたり生きるためにと必死で働いていたある日、子供が水ぼうそうに罹り、やむを得ず仕事を休んで看病をしていました。
ピークも越え、あとは日にち薬かな。
という状態になったころ、私にも水ぼうそうが発症。大人になってからの水ぼうそうは非常に症状が重く、頭のてっぺんから足の裏までびっしりの水疱と、42度の高熱が出てフラフラになりました。
当時、私は実家との折り合いが悪く、絶縁状態であったため、「実家を頼る」という選択肢が頭の中にありませんでした。
祖父母は頼れるけど、心配をかけたくない。
とにかく、この熱を下げないと本当にマズい。
どうにかして、1km先の内科医院まで歩いて行かねば。
しかし、1歳の子供を家に置いて出かける訳にはいかず。
子供を抱え、道中何度も道端に座り込んで休みながら、ようやく最寄りのクリニックにたどり着きました。
そして先生の診察を受け、薬を出してもらい、再度気力を振り絞って、来た道を帰りました。
そのクリニックに、
同じマンションに住む
お顔は知ってるけど
話をしたことはないおじいさん
が、来ておられました。小さな内科医院でしたから、先生とスタッフの方に、
「頼れる家族もいないから、自分で何とかするしかないんです」
と話をしていた内容が丸聞こえだったのでしょうか。家に帰って間もなく、クリニックでお会いしたそのおじいさんが、おばあさんと一緒に家に来られました。
そして、おばあさんが、
「うちのおじいさんがね、あの子らかわいそうに。ボン、かわいそうに。あんな状態で子供の世話なんか出来んぞ。何かボンが食えるようなもん買うてきてやってくれ。かわいそうに。って言うから、買って来たんよ。これ、ボクに食べさせてあげて」
と言って、バナナとみかん、菓子パンなどが入ったスーパーの袋を渡してくださいました。
もう、どうお礼を言っていいか、判らなかったですね。
有り難すぎて、有難うございます以上の言葉が見つからない。
そして、完治したあと、おじいさんとおばあさんの家に、菓子折を持ってお礼に行きました。
「かわいそうになぁ」と思っても、思うだけで終わる人が多いなか、私たち親子を助けてくださったおじいさんとおばあさん。世知辛いこの現代に、こんな方たちもおられるんだ。
と深く感謝しました。そのおじいさんとおばあさんの世代の方にとって、「困ってる近所の人がいたら助ける」ということは、今よりももっと普通のことだったのでしょう。
日進月歩で時代が進み、どれだけ便利な世の中になろうとも、
ご年配の方から学ぶ「心」を、
絶対に失くさず、隠さずに生きよう。
そして、後世に伝えよう。
と固く誓った出来事でした。
世直しより、暮らし直し。私にできる政治のかたち
「政治」と「私たちの暮らし」は、
どこかかけ離れていて、遠い所にあるもの
政治は一部の人がやっているだけで、末端の市民にはあまり関係の無いこと
と捉える人もおられるように感じますが、
様々な社会問題が起こる原因は、必ず政治が影響しているのではないか?
池に石を落とすと水面に波紋が広がるように、
広がった波紋の影響を受けるのが、我々一般市民なのではないか?
波紋の起こる仕組み=政治のことが知りたい。
母子家庭でありながら、血気盛んな青年でもあった私は、そんなことを考えて某政治塾の門下生になりました。
そこでは、各界の権威や著名人等を招いた魅力溢れる講師陣の講義、研修、合宿等も盛んに開催されました。選挙対策本部の運営、街頭演説や選挙カーのことも学び、文字通り、
「政治家を目指す人のための塾」
でありましたし、塾生が選挙に立候補すると、塾生達が総出で応援に駆け付けました。
そこでの経験は、私にとって一生の宝物であると思います。
しかし残念なことに、立候補する前は、心の底から、
「本気の世直し、世のため人のために」
と燃えていた候補者も、いざ当選して、2期もすればガラリと変わってしまうという光景を何度も目にしてきました。
彼らが悪いと言っているのではなく、彼らがいくら頑張ったところで、大きな動きは、何も起こせないのが実情なのだと思います。
先程の、池に投じた石の波紋なんてものじゃありません。鳴門海峡の渦潮です。
志を高く持った新人の政治家と、その周りの支援者が頑張ったところで、渦潮を逆回転させるのは至難の業。
次第に意気消沈し、「理想を実現するための闘い」よりも、「議席を守るための算段」に意識が向いてしまう人も出てくる。
そういうことを実感していくにつれ、政治に無関心になった訳ではありませんが、
自分自身が政治家となって動きを起こそう、流れを変えよう。ということを目指すよりも、自分と、自分の周りの人たちが、この現代をうまく生き抜くことが出来るように、知恵を絞ろう。
かつて、自分たち親子を助けてくださった、おじいさんとおばあさんのように、「見て見ないふりをしない」人間になろう。ご年配の方たちのために、自分に出来ることをしよう。目となり、耳となり、手足となろう。
ちっちゃいことだけど、これが私にできる政治だ。
という考え方に切り替わっていきました。
葉隠に学ぶ、終活という人生の整え方
核家族化、そして少子化の極みである現代、介護・葬儀・墓等の問題は、他人事ではありません。
介護は、いつやって来るか、わかりません。
人生の最後も、いつやって来るか、わかりません。
葉隠の、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」とは、単に、「武士なら死ね」と言い放っているのではなく、
死を覚悟して取った行動であっても、
人間の生死にについては人知の及ぶところではない。
保身に走って逃げ延びたら、生き残れたとしても腰抜けとなる。
しかし、たとえ自分が判断を誤ったために死んだとしても、逃げずに死んだなら、それは恥にはならない。
武士道としての心構えはこれさえあれば十分だ。
だから、普段から腹をくくっておけ。
いつでも決死の覚悟ができていたら、保身という束縛から開放されて心が自由になり、かえって自分がなすべきことを全うすることができる。
ということを説いている哲学書だと拝しています。
「生きるために呼吸をしよう」などと考えることもなく息をするのと同様に、人間のみならず、全ての命あるものは、「生きよう」とする本能が備わっています。
「死」と聞くと、瞬間的に「怖い」と思いますが、全ての生命に、例外なくおとずれるものです。
ただそれが、いつなのかは、誰にもわかりません。
だからこそ、後悔を残さぬ、あなただけの人生を、生き切ることができるように。
井上工務店の終活支援とは
私が、井上工務店の次男棟梁と再婚しようと思った理由のひとつに、「ご年配の方に対して優しい」という点があります。
再婚を機に、この城陽に移り住んでから、雑用女将として日々奔走するなかで、知り合ったお施主さんと深く関わることも増え、自分にできることを色々お手伝いさせてもらっています。
そして、私も井上工務店の一員として、何人ものお施主さんを最期まで見送らせていただきました。
井上工務店が掲げる「一軒の家の、初めから終わりまでをサポートする」という理念の根っこには、 「この家で、どう過ごしたいか」というお施主さんの思いに、 自分ごととして向き合う姿勢があります。
建ったその日から、お施主さんと共に歳を重ねていく家。その家とお施主さんのあいだに立ち、 最後まで、舞台の袖からそっと支え続ける。そんな関わり方を、私たちは大切にしています。
主演はあなた、黒衣は井上工務店
終活(しゅうかつ)は、決して、暗い・寂しい・悲しい・辛いといったネガティブなものではありません。むしろ、知的で、残された人たちへの優しさが詰まった、最高にかっこいいことだと、私は心から思っています。
- 遺された遺族に迷惑をかけたくない
- いつまでも良い思い出と共に、自分のことを覚えていてほしい
- 最期まで格好良い人だったねと言われたい
- 後世の人々に、自分からのアドバイスやメッセージを残したい
人の数だけ、思いはさまざまだと思いますが、終活とは、
こんなストーリーを生き切りたい!
というあなただけのシナリオのもとに、人生最後の大舞台を演じる、前向きなライフワークです。
何から手を付けたら良いか、わからないときは、どんなことでもご相談ください。
世間から受けた恩を、世間に返すこと。
それが、終活支援を通じて私ができる「ちっちゃい政治」だと思っています。
井上工務店 雑用女将
あなたの人生の最終章を、舞台として設計する

